神社にお参りをする前に手と口を清めてから参拝をするのが神社参拝の正式な参拝作法ですが、この手と口を清める所が手水舎(御手洗場)と言う場所です
手と口をすすぐ事によって、心身全てを綺麗にする象徴的な行為で、古くは神社に参拝する時は海や川に入ったり水をかぶったりして身に付いている罪や穢れ祓い落とす禊と言う行為があるのですが、それの簡略化された行為とされています
一般的に手水舎には柄杓が置かれており、それを使用して行為を行いますが、それにもちゃんと一連の作法があります
①右手で柄杓を取り水をすくいます。すくった一杯で一連の動作を行うので、なるべく多めにすくいましょう
②まずは左手に水をかけ、柄杓を左手に持ち替えて右手をかけて清めます
③もう一度右手にその柄杓を持ち替えて、左の手の平にに少量の水を溜 め、その水を口に含み音を立てずにすすいだ後、左手で口元を隠し腰を屈めててそっと吐き出します(口をすすぐ時は柄杓に直接口をつける事はしません)
④そして最後に柄杓を両手で持ち、 残った水が柄の部分を流れるよう立てる様に傾けて柄を洗い、柄杓を元の位置に戻します
概ねどこの神社でもこれが一般的な作法となります
下の写真は当神社の手水舎ですが
水口(水の出る場所)は龍神となっており
水口は御神使(神の使い)を模していたり竹製であったりと多種多様ですし、手水舎は結構ユニークな彫刻や構造をしたモノもあります
神社参拝の際はじっくりとご覧になってはいかがでしょうか? 今までに見た事がないようなモノが見つかるかもしれません(大)
神仏の御加護を感じてから、物事の本当の意味がわかりはじめ、蔵王様の長い歴史と多くの神仏がいらっしゃる事にも気づき、いろいろ教えて頂きたいと思っています。
五七の桐、手水舎の龍神(観音様とのご縁?)の由来を教えて下さい。
どうもはじめまして、返信が遅くなり申し訳ありません。
五七の桐、手水舎の龍神の由来についてですが、火災などにより文書など焼失している為に詳しい事は不明なので個人的に回答をさせていただきます。
間違っている面も多々あるでしょうから、ご参考程度にお考え下さい。
元々桐は菊の御紋に次ぐ大切な紋章とされ天皇家で使われていましたが、征夷大将軍となった足利尊氏が後醍醐天皇からこの桐紋を授けられ、さらに尊氏が家臣に・・・と広まっていったようです。
これが武家の家紋の始まりに加えて、征夷大将軍で幕府を開くと言う事は天皇の代わりに政治を行うという事ですから、為政者の紋並びに高位の紋と言う認識が定着したそうです。
神文には様々な歴史的背景や伝承などがあり、一概に「こうである」とは言えません。
が、長岡地区でも割と珍しい神紋のようです。
龍神についてですが、元々日本の民間信仰にあった蛇神信仰と中国の龍が結びつき、それが各地で水の神となる民間信仰となりました。
多くの神社が龍神を手水舎に置く理由は、水の神である龍神の水で清めてからご参拝下さい、と言う意味合いがあるのかもしれません(大)