深く積もった雪もいつの間にか解け、土の匂いも春らしい穏やかな天気が数日続いています。
一の鳥居から出たところ、飛び地境内などといったりしますが、そこにある松代(まつしろ)藩士の墓についてご紹介したいと思います。
戊辰戦争において当時の長岡藩は旧幕府軍を支持し、明治新政府軍と激しく対立し長岡藩周辺で繰り広げられた戦乱を北越戦争といいます。
慶応4年(1868年)5月新政府軍は長岡城を攻略し、城はわずか半日で落城。長岡藩士は栃尾方面へ退却、加茂に集結し再び見附を奪回し、7月に長岡の八丁沖の戦いに甚大な被害を出しつつも勝利し奪還しました。
この墓はこの八丁沖の戦いにおいて蔵王に追い詰められ孤立した新政府軍を支援するため、長岡藩士と戦い命を落とした信州松代藩士14名を弔うために明治元年(1868年)10月に建てられたものです。