「七五三まいり」の事は 多くの方々が知る日本のたいせつな文化の一つではないでしょうか。
10月に入り お祝いのお子様はご両親の後に続き 大きなあしどりで進む。
「七五三まいり」とは
お子様が無事ここまで成長されたことをお祝い 神様に感謝する行事でございます。
お子様の大きなご成長を お祈り申し上げ 皆様のご来社お待ちしております。(小)
気候もだいぶ穏やかになってきました。
秋の青空は色が澄んで気持ちも穏やかになりますね。
9月25日(日)市内豊詰町の豊津義神社で例祭が行われました。
市内の南部、水田が広がる平野部に鎮座する神社ですが、ここ数十年で環境が変わりました。
上越新幹線や国道8号が近くで交差し宅地開発もあり、主に農家で構成される地域から新しく入られた住民が多くなっています。
この例祭は秋の収穫を感謝する祭儀ですが、町内の専業農家も少なくなり時の流れを感じます。
拝殿には入りきれない大勢の方が外で参列、終了後直会が行われました。とわたし(戸渡しの意か?)という一年間の役員を引き継ぐ儀式が直会の途中で行われます。杯のお神酒を飲み干し契りを交わします。割と量が多く一気に飲み干すのは大変だということで近年はお茶だったりしますが、役の交代を示し自覚を持たせ周囲に認知させる意味ではとても効果的な伝統行事に思えます。
秋の一日天気も良く無事例祭が行われました。役員の皆様お疲れさまでした。(桃)
9月14日当社の兼務神社、長岡市内千手町の八幡神社で秋季大祭が行われました。
春(5月)に例祭が行われましたので、秋季大祭と呼ぶのが相応しいです(例祭は一年に一度)
暑い日が続いていましたが、9月に入ると台風の到来などで雨交じりの天気が続いていました。この日もどんよりとした雲の多い日でした。
旧社格では村社になる神社です。産土神としてお祀りされていた諏訪社(現在八幡神社に合祀)とと合併し、初めは三河国(愛知県)牛久保に鎮座し長岡藩主牧野家崇敬の神社であったが、上州大胡より牧野家が長岡へ移封されると長岡城内に遷座され、その後現在地に遷座したと伝えられています。
全国的に有名になった長岡の花火も、明治12年の9月14日15日の2日間、千手町八幡様の祭りに長原などの遊廓関係者がお金を出し合って花火350発を打ち上げたのが始まりとされています。
春の例祭と境内に露店はありませんが、厳粛に神事を行い神賑の行事が行われています。春と秋、田植えと稲刈り、願いと感謝。稲作に始まる祭りと日本文化の関わりについて拙い挨拶をさせていただきました。涼しくなり秋の到来を肌で感じるようになり早や一年が過ぎるようとしています。(桃)
投稿が遅くなりましたが、先週末に兼務神社の例祭がありましたのでご報告いたします。
8月20日11時から市内定明町に鎮座する八幡神社の例祭が斎行されました。こちらは以前拝殿が火災により焼失してしまいました。祭典も私が本殿で奉仕し、氏子の皆様は外にご参列いただく形となってしまいました。祭典の後は境内にシートを敷き青空の下直会です。時折吹く風に木の上の虫たちがちらほら落ちてきましたが、そんなこと気にも留めず皆様楽し気に過ごしておられました。
翌21日8時から渡場に鎮座する稲荷金比羅神社の例祭が斎行されました。朝早くにも関わらず20名近くの皆様にご参列いただきました。子供たちが担ぐ樽神輿も華やかに飾られており、子供たちの祭りへの楽しみな思いが伝わってきました。その後雨が降ってきましたが、渡御は無事に終わったでしょうか。来年もきれいなお神輿を見られることを楽しみにしています。
同日9時から槇下町鎮座八幡神社の例祭が斎行されました。こちらは子供神輿をお祓いしてから祭典を始めるのですが、引っ越して来られたご家族が多かったり、兄弟の多い家庭も多かったりで、たくさんの子供たちが今か今かと待ち構えていました。「子供が多いことはいいこと」と町内の方も嬉しそうに話してくれました。これからも子供たちには八幡神社のお祭りを賑やかに支えていってほしいです。
同日14時半から大宮町諏訪神社の例祭が斎行されました。こちらは氏子数も15戸ほどと少ないのですが、そのほとんどが農家をされていて、公民館には町内農業組合が受賞した賞状がたくさん飾られていました。氏神様に見守られながら地道に農業に励む氏子の皆様、これから収穫期の忙しい時期を迎えますが、健康に留意されまして実り多い豊作となりますようお祈り申し上げます。(吉)