「楓蔦黄(もみじ つた きばむ)」と申しまして紅葉の条件がととのう季節でございます。
新潟県長岡市金峯神社にて「王神祭」ご執り行われます。
10月5日(日)午前10時に行います、皆様のお参りお待ちしております。
10月1日(日)横枕町に鎮座する兼務神社、神明神社の例祭に行ってまいりました。
当社の兼務神社では一番遠くに鎮座する神社で(約10キロ)市内の南部に位置します。
写真の通り、百段を超える石段の上に立派な社殿が鎮座しています。昔洪水で社殿に水が着いたことをきっかけに高い山の上に遷座したのだとか。
横枕の集落の北側の山の上に神社があるのですが、道らしい道はなくちょっとわかりにくいかもしれません。
階段はかなり急で暗い時にはお参りに行けないかもしれませんが、登った後の境内の雰囲気はとても清々しいです
拝殿と本殿が離れている造りで少し離れた御本殿には幣束をお祀りします。集落から30~40人ほどの参列があり、祭典の終了後にはお神酒拝戴があります。
午後3時からの祭事も終わりごろにはほんのりと薄暗くなっていました。日が暮れて涼しい風が吹き毎年ここで秋の到来を肌で感じています。
本務社兼務社を含め、いわゆる例祭としての神事は今年はこれで終わりです。ご社頭ではこれから七五三やら年末年始の準備やらで慌ただしくなってきます。時間が過ぎるのを年々早く感じますがそれに流されることなくしっかりと生きたいものですね。(桃)
9月24日(日)長岡市内の豊詰町の豊津義神社で例祭の神事が行われました。
しばらく雨が続き肌寒い日が続きましたが、この日は秋晴れの良い天候になり支障なく神事を行いました。
豊津義神社のご祭神は建御名方命(タケミナカタ)といって諏訪神社の神様で、社殿内には神明神社もお祀りされています。
明治40年に建築された社殿も中越地震の折に大変な被害を受け改築された新しい社殿です。今回機会があり古くからの豊津義神社の写真の記録を見せていただき有意義な一日になりました。
神事後の直会では例年通り頭渡し(戸渡し?「とわたし」)といって当番の引継ぎの儀式が行なわれ、昔は頭屋(当番)を引き受けた者が酒を注いだ大杯を一気に飲み干す儀式が行われました。現在では気持ち程度の量や酒でなくなり時代の流れを感じさせますが、当番の引継ぎの明確さや周囲への認知、地域の一体感を培う儀式として楽しみにされていたのではと想像されます。
古い時代の姿を垣間見るような気がしますが、長く伝えていってもらえたらと思います。(桃)
朝夕はだいぶ涼しくなって、日中は強い日差しを感じながらも時折吹くさわやかな風に秋の足音を感じます。
先日9月9日に長岡市内草生津の神明社の祭礼が行われました。
9月も大変祭礼が多い月ですが、この日も各地で祭礼があるためが朝からあちこちで花火が上がっていました。
社殿前に写真のようにテントを張り様々な行事が行われていました。
かなり広い境内には境内社が鎮座していたり石碑があったりしますが、この日はあまり気にかけることが今までなかった慰霊碑についても祭事を行いました。日露戦争の慰霊塔ですが町内でも詳細がわからなくなりつつあります。しっかりと伝承する良いきっかけになったのではないかと思います。(桃)
新潟県長岡市宮原に鎮座いたします大己貴神社で祭礼を執り行いました。
少し歴史をご紹介いたします。かつて、こちらの地には「十方院敬忠」という山伏がおりまして宮原村(当時)に薬師を奉祀したのが事の始まりです。当山派(※1)修験十方院は慶長年間(1596年~1615年)その町で当時、薬師如来をお祀りしておりました。その後、時代が進み明治に神仏分離で大己貴神社と名前を改め「大己貴命(大国主命)」をお祭りした。
※1 当山派とは平安時代から江戸時代にかけて存在した真言宗系の修験道。金峯山(※2)を山岳修行の拠点とし活動を行っていた。明治の神仏分離で、修験道廃止に伴い当山派は真言宗に統合されることになった。
※2 金峯山とは奈良県の大峰山脈のうち「吉野山」~「山上ヶ岳」までの連峰の相称。
午後からは「各戸祓い」を執り行い、ご自宅に一軒一軒まわりお祓いを致します。大変、天候もよく神輿を担ぐ子どもたちの「ワッショイ ワッショイ」と言う声が宮原に響きます。お近くにお寄りの際はどうぞお参りください。ちなみに、宮原の歴史など詳しく知りたい方は「大己貴神社と宮原の今昔」という本が大己貴神社様(長岡市宮原)にございます。お祭りの日にお参りを兼ねてお近くの方にどうぞお尋ねください。(小)