‘神社のいろは’ カテゴリーのアーカイブ

稲作(お米)と神道の関係①

2010年10月7日 木曜日

調べたところによると、稲作の起源は紀元前約三五〇〇年前までにさかのぼるそうですicon_eek.gif

紀元前三五〇〇年前と言うと縄文時代後期位でしょうか。私が義務教育の時は弥生時代中期頃に稲作が始まったという話だったのですが、いつの間にやら変わっていたようです。

さて、縄文時代にまでさかのぼる稲作は神道と深い関わりがあります。

神道では毎年十一月二十三日(古くは十一月の第二の卯の日)を新嘗祭(にいなめさい)として宮中および各地の神社で収穫感謝のお祭りを執行してきました。

この新嘗とは「新饗」の意味で漢字で分けると「新/饗」となり意味は「新しいモノで/もてなす(御馳走する)」と言う事になります。

春のはじめに祈年祭(きねんさい、としごいのまつり)を行い五穀の豊穣を祈るのに対し、収穫の秋に実った新穀を神前に供えて、神さまの恵みに感謝するのが新嘗祭で起源は古く、『古事記』に天照大御神が祭りを行った事が記されています。

その年に初めて収穫されたお米の事を初穂といいますが、もともと最初に収穫された稲穂を感謝を込めて神さまにお供えする事を意味していました。現在ご祈願を受けた際にのし袋に「初穂料」と記すのはこれの名残です。

古来の人は種をまき植物が育つ様子を神さまの力と考えていました。現在では科学が進み「何々が作用して何々が・・・」と解明されていますが、偉大な自然の力に感謝する気持ちを忘れずにいきたいですよね(大)

七五三について

2010年8月31日 火曜日

9月に入りました。9月は「長月」ともいいますが、これは諸説ありますが「夜長月」の略といわれています。秋に入り涼しくなるとともに夜が長くなり月が美しく見えるからでしょう。

時期がまだ早いですが、10月11月が七五三の季節ですので、今日は七五三について説明したいと思います。

七五三3min

七五三とは三歳・五歳・七歳と成長の節目に神社に参拝して無事成長した事を感謝し、これからの将来の幸福と長寿を祈願する子どもの人生儀礼の代表に挙げられる神事です。

医療が十分に発達していない時代、子どもの死亡率はとても高く子どもの成長や健康を願うためにお七夜や初宮詣と言った風習が生まれ、七五三もそういった風習の一つで公家や武家の年中行事が発祥となっています。

平安時代から「髪置」(3歳)、「袴着」(5歳)、「帯解」(7歳)の儀式はありましたが、時代によって男女の別も異なり年齢も決まっていませんでした。現在の三歳、五歳、七歳を祝う原型は江戸時代、徳川幕府五代将軍徳川綱吉が病弱である長男徳松の健康の為に天和元年(一六八一年)旧暦の十一月十五日に袴着の儀式を行った事によるとされています。

何故この日に行われたかと言うと旧暦の十五日は陰陽道の二十八宿の鬼宿日(鬼が出歩かない日=悪い事が起きない全てにおいて吉日となる日)とされ、また旧暦の十一月は収穫を終えて神さまに感謝をする月でもあり、その月の満月の日である十五日を氏神さまへの収穫の感謝と並んで子どもの成長にも感謝する為にこの日に執り行われたのです。

明治以降、新暦になってからは十一月十五日に決まって執り行われるようになりましたが、現在では十一月十五日にこだわらず、直近の土日祝日執り行ったり、寒冷地では一ヶ月早めて執り行ないます。

三つ子の魂百までも、と言う言葉があるように、幼い頃に出会った全ての事柄は子どもの成長に繋がります。大好きな両親や祖父母に連れられて普段は見慣れない神職や神事に関わる子どもの心は豊かに育まれるだろうと思います(大)

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千歳飴2min

おみくじについて

2010年6月8日 火曜日

おみくじは個人の運勢や吉凶を占うために用いられ種類も色々あり、当神社では普通のおみくじの他に「子どもみくじ」と「恋みくじ」があります(恋みくじは授与所で頒布しています)

一般的なおみくじの内容は吉凶判断・金運・恋愛運・失せ物・旅行・待ち人・健康など生活全般に渡る内容が記されています(恋みくじの場合は星座や血液型の是非がありますが・・・)

神様のお諭し(大御心)としてその内容を今後の生活指針にしていく事が大切な事ですが、気にしすぎるのも良くありません。

例えば凶を引いてしまったからと言って落ち込む必要はまったくありません。

例として金運を挙げるならば、凶だとしても「急がねば開けることあり」と記されており、急がなければいつか金運に恵まれますよ、と解釈して頂いて構いませんし、大吉を引いた場合でも「心よければ開く」と記されており、心に邪まな気持ちがなければ恵まれますよ、と解釈して下さい。

いくら大吉だからと言って傍若無人に振舞っていれば凶事に出遭うかも知れませんし、凶だと言っても心安らかに気を引き締めて生活すれば凶事に遭わないかも知れません。

神道の考え方では、二元論と言う考え方はあまり合いません。人間だって良い面もあれば悪い面もある、絶対的な善や絶対的な悪と言った考え方はそれに相対する存在を全否定してしまいます。

良い部分にも悪い部分を、悪い部分にも良い部分を見つけ、お互いを認め合うのが本来の日本人の素晴らしい所です。

だから大吉が出たからと言って慢心せず、凶が出たからと言って落ち込まないで下さいね?

・・・それでも、凶は精神的に嫌だ、と思うのが人間です。実際私も凶よりも吉、吉よりも大吉の方が良いですからねicon_neutral.gif

そんな時はもっと良くなりますように! と祈りながら神社にある樹木などに結んで行きましょう。

はるか昔は利き腕じゃない方で片手で結ぶ事で修行とみなして、それをする事によって神様に伝わる、と言う方法が流行りましたが、そんな事をする必要はありません。

ただ祈りを込めながら結んで下さい。神職がキチンとお焚き上げ致しますので。

たまに大吉が出るまで引き続ける方もいらっしゃいます。いえ、別に気の済むまで引いていただいて結構なんですが、中国の『易経』と言う書物に「再筮すれば穢れる」と言う言葉があります。この言葉は「一度出た結果が気に入らないからと言って再び占いをして神様に尋ねても、神様はもう何もお答えにならないどころか自身の身も神威も穢れてしまう」と言う意味を含んでいます。

参拝しに来たんですから、自ら穢れる様な真似だけはしたくないですよね(大)

鳥居について

2010年1月29日 金曜日

神社の境内には必ず鳥居があって、神社の目印というか象徴のようなものです。(神社の地図記号も鳥居ですし・・・)

これは神社の参道の入り口に建つ一種の門で、神さまの聖域と人間の世界との境界を示すものです。

この鳥居について説明したいと思います。

一の鳥居

鳥居の起源については、実ははっきりとはわかっていません。

最古の記録では古事記の「天岩戸開き(あめのいわとびらき)」の中で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)が岩戸に隠れたときに、鶏(常世の長鳴き鳥)を止まり木で泣かせたところ、大御神が岩戸より出てこられたところから、これ以降神前には鶏の止まり木をつくるようになり、それが鳥居になったといわれています。

また鳥居のいう語源は「通り入る」とか「鶏が居る」と書いて「鶏居」という言葉が変化したものといわれています。

さてこの鳥居、二本の柱とその上に横に乗せた「笠木」(かさぎ)とその下に水平に乗せた「貫」(ぬき)という横木からなっています 。材質はもともと檜や杉といった木材でしたが、後世には石造・銅製、最近ではコンクリート造などもできました。

また一見すると同じように見える鳥居も下記のように様々な形があります。

お近くの神社はどのような形でしょうか?鳥居の形と神社の由緒は無意味ではなく、意外と関係深かったりします。

三柱鳥居三柱鳥居三輪鳥居三輪鳥居山王鳥居山王鳥居鹿島鳥居鹿島鳥居 宗忠鳥居宗忠鳥居住吉鳥居住吉鳥居春日鳥居春日鳥居神明鳥居神明鳥居八幡鳥居八幡鳥居明神鳥居明神鳥居

両部鳥居両部鳥居筥崎鳥居筥崎鳥居