‘神社のいろは’ カテゴリーのアーカイブ

建国記念の日

2011年2月11日 金曜日

本日は「建国記念の日」と言う国民の祝日に当たります。これは昭和四十一(1966)年に「建国をしのび、国を愛する心を養う」と言う趣旨の「建国記念の日」を定める国民の祝日に関する法令の改正が成立した事により、当時の佐藤栄作内閣が建国記念となる日を定める政令を定め、即日施行されたことにより、翌年昭和四十二(1966)年の二月十一日から祝日になっています

これは宮中において行われていた紀元節が元となって出来た祝日で、紀元節と言うのは『日本書紀』の中で初代天皇陛下である神武天皇が即位した日を祝うお祭りです

即位日は「辛酉年春正月、庚辰朔」、つまりは一月一日となるのですが、明治政府は明治五年十一月十五日(1872年12月15日)に一月二十九日を神武天皇の即位日と定めました。何故一月二十九日と言う日に定めたかと言うと、この一月二十九日と言う日は明治六年(1873年)の旧暦一月一日をそのまま新暦に置き換えた日となるんです

また明治六年から旧暦→新暦に移行したので、明治五年は何と12月2日までしか暦上はなかったそうですicon_eek.gif

その後紆余曲折ありまして、明治六年十月十四日に正式に「紀元節」と言う祭日が決まり、現在では名前を建国記念の日と変更して今日まで受け継がれています(大)

/p

初午について

2011年2月4日 金曜日

今日は立春! と言う事が関係しているかどうかは分かりませんが、新潟県内は晴れの空模様の場所が多いようです

このまま全部雪が溶けてくれれば良いんですが・・・彼岸荒れという言葉もある様に、まだまだ油断はできませんicon_sad.gif

さて、タイトルの通り今日は間近に迫った「初午祭」について少し書きたいと思います

初午と言うのは二月の最初の午の日、今年で言うと二月の八日火曜日となります

この時に各稲荷神社では「初午祭」と言う御祭が斎行されます

なぜこの日かと言うと、稲荷社の総本社である京都の伏見稲荷大社の御祭神が鎮座なされたのが和銅四(711)年の最初の午の日だったから、と言われています(一説には和銅四年二月七日)

現在では二月の初めの午の日、冬の一番寒い時期の御祭になりましたが、本来は旧暦に執行され、更には立春以降の初めの午の日に斎行されていました

長岡周辺ではこの時に五色の旗を子どもの名前で奉納する習慣があります。皆様もお近くの稲荷神社の総代や役員の方に問い合わせをして、奉納してみてはいかがでしょうか?(大)

御札のまつり方

2010年12月21日 火曜日

言い方が適切かどうかは分かりませんが神棚と言うのは、家の中の神社、と言う考え方が適切かと思います。そうなると御札は御神体、と言う事になって来ます。

神さま(或は神様の御恵)をお招きして家を守っていただくわけですから、神棚は明るく清浄にするように心がける様にします。

また神さまを踏む事が無いように最上階に神棚を設け、お札の向きは東向きか南向き、つまりは壁の西面か北面に神棚を設けてまつるのが良いとされています。

とここまで書きましたが、絶対にこうしなければならないという訳ではありません。あくまでも『理想的』なまつり方であり、真心を持って御まつりしようと言う心さえあれば、タンスや本棚の上を綺麗にして白い布を敷き神棚を設えても問題はありません。

さてここまでは出来る範囲での事で良いのですが、お札を御まつりするにはルールがあります。

ホームセンターや神具仏具の専門店などに売っている宮型で多いのは一社造り(重ねて御まつりする形)と三社造り(並べて御まつりする形)だと思いますので、御まつりの仕方をご紹介します。

一社造りの場合

一番奥に崇敬する神社、真中に氏神さま、一番手前に神宮大麻と言う順番でお札を奉安します。

matsurikata_04

三社造りの場合

中央に神宮大麻、向かって右に氏神さま、向かって左に崇敬する神社と言う並べ方でお札を奉安します。

matsurikata_03

左右に榊を立て、米、水、塩、酒を下記の図のお供えすると、理想的なお札のまつり方となります。

matsurikata_02

お供え物は毎日取り換える事が望ましいですが、難しい場合は一日や十五日など、月例祭の日に換えます。この日には榊も取り換えます。

榊は生花店などでも売っていますし当神社でも頒布しております。参拝の折に持ち帰り、お供え物などを一新してみてはいかがでしょうか(大)

新嘗祭

2010年11月23日 火曜日

本日11月23日は勤労感謝の日で国民の祝日ですが、昭和22(1948)年に国民の祝日に関する法律が施行されるまで新嘗祭の日と呼ばれていました。

新嘗祭とは宮中祭祀の一つ、収穫祭に当たるもので、天皇陛下が五穀の新穀を天神地祇に勧め、また御自らもこれを食してその年の収穫に感謝されるお祭りです。

起源は古く、なんと飛鳥時代(592~710年程)の皇極天皇の御代にまで遡るそうです。

写真

また当神社にもお米が奉納されました。今日は全国各地の神社で、厳かに新嘗祭が執り行われている事と思います(大)

稲作(お米)と神道の関係②

2010年10月28日 木曜日

昨日辺りから急に寒くなり、北海道では雪が降って路面電車の除雪車が一ヶ月半ほど早く登場したようですicon_eek.gif

この時期になるともうスーパーなどでは新米が並んでいますね。新潟県のお米は美味しいですが、新米は格別な気がします。

神社での御祈祷や地鎮祭などの際、「玉串料」や「御神前」などとのし袋の表書きに記す事がありますが、「初穂料」と書いてある場合もあります。

初穂とは字の通り「その年に初めて収穫されたお米」の事で、元々は左記の通り最初に収穫された稲穂を、感謝を込めて神さまにお供えする事を意味していました。

けれど後に穀物以外にも初めて収穫された野菜・魚・獣などにも用いられ、さらにお米の代わりにお供えする金銭にも用いられるようになったそうです。

もう日時は過ぎてしまいましたが、伊勢の神宮では10月17日に年間最大のお祭りとされる神嘗祭が執り行われました。

この神嘗祭は、天皇陛下が御手ずから丹精を込めてお作りになられた新穀をはじめ、全国の篤農家から奉納された新米を供え、神さまにお召し上がりいただく、実りに感謝し喜びを神さまと共に分かち合うおめでたいお祭りです。

稲は「命の根」だからイネと呼ばれ、お米には「命の根が込められている」のでコメと呼ばれ、新米には「新しい命の根が込められている」ので大事にしてきているのだと思います。

その新鮮で瑞々しい生命力が込められている新米を神さまがお召し上がりになる事によって、生命力つまりは御神徳が高まり、神さまの御力が更新されるのです。

この様な事から神さまや神道には、稲作が古来より関係している事が分かると思います(大)