‘神社のいろは’ カテゴリーのアーカイブ

日本の神さま②

2012年3月6日 火曜日

私たちが生活を営んでいる現世(うつしよ)には数多の神が宿っていますが、古来より日本民族に敬られて来た神さまの中に山の神さまがいます

山にかかわる神さまの総称として山の神と便宜的に称しますが、山一つとっても実に多くの神さまが関わっておられます

山は生物や鉱物、樹木や果実や川を為す水など、生活に関わる全てのモノを齎すとも言えるので、山から齎せられるモノの全ては山の神さまのお陰だと信じられてきました

そこから派生して、様々な神さまと同一視される事も多く、山の神様である大山祇(おおやまつみ)神は別名を和多志(わたし)大神と言い、山と海を司る神さまとも言われています

特に稲作にかかわる人たちの間では田圃の水が山から齎される事から山の神さまは春には田の神さまとして山から下りてきて、収穫が終わると再び山に戻られると言う信仰が古くからあり、その為に同一の御祭神でありながら山の麓に本社を、頂に奥宮を建立している山もあります

また、奈良県の大神(おおみわ)神社の三輪山、茨城県の筑波山神社の筑波山など、山の全てが御神体として崇められている神社もあります

大山祇神、大山咋(おおやまくい)神、菊理媛神(くくりひめ)神などが山の神として知られており、鉱山などに於いては金山彦神、金山姫神が多く祀られています(大)

 

 

 

大山祇神、大山咋(おおやまくい)神、菊理媛神(くくりひめ)神などが山の神として知られており、鉱山などに於いては金山彦神、金山姫神が多く祀られています(大)

日本の神さま①

2012年3月4日 日曜日

日本には八百万(やおよろず)の神さまがいらっしゃると言われています

八百万とは文字通りの数の神さまがいらっしゃると言う訳ではなくて、数え切れないほど沢山の神さま、と言う意味になります

『古事記』や『日本書紀』出て来る神さまだけが神さまと言う訳ではなく、その地域に根付いた土着の神さまや、或る地域に貢献して神さまとして祀られた人物、特殊な由来のある神さまなど、本当に様々な神さまがいらっしゃいます。

 

元々日本民族は四季の移り変わりに敏感に反応して生活の営みを続けてきました

農耕民族として太陽や雨、風や海と言った自然の恵みは生活の根本を為すモノでしたし、自然界で起こる天変地異は神さまの怒りなどとして畏れ、少しでも和らげて人間では到底どうしようも出来ないその力を恵みとして賜ろうと敬った事に信仰の始まりがあると思います

 

暫くの間は日本の神さまについてブログを更新していきたいと思いますので、どうぞよろしくお願い致します(大)

雛祭り

2012年3月2日 金曜日

明日は3月3日、女の子が主役の雛祭りの日です。家庭では雛人形を出したり菱餅を買ったりと準備に余念がないのではないでしょうか

何気ない行事に見えますが、雛祭りは健やかな女の子の成長を願い昔の人が洗練してきた伝統的な文化です

平安時代に貴族の子女の『雛遊び』が由来であるとか、同じく平安時代に紙で作った人形を川へ流す『流し雛』が災厄除けの『守り雛』として祀られる様になったなどと諸説ありますが、現在一般的に家庭で飾られる豪華絢爛な雛人形は江戸時代になってから作られ始めました

昔は簡単な紙で作られたモノだったので川に流したり子どもの遊び道具として使用できましたが、現代の雛人形はとてもじゃないですが一年毎に川に流すなんて事が出来るような代物ではないのは、『一生の災いを子どもの代わりに被って貰おう』と言う祭礼的な意味が強くなったからだと言われています

江戸幕府が出来るまでは俗に言う戦国時代。明日の我が身も分からない様な時代だったので、平和な世の中になったからこそこの流れになったのでは、と私は思います。武士の子女の嫁入り道具の一つとも言われてますから、とても華美で贅沢なモノがあったかもしれません

 

雛祭りとのご馳走と言えば菱餅やお吸い物などが定番ですがこれにもそれぞれちゃんとした意味があります

菱餅は赤、白、緑の3色で作られる事が多いと思いますが(地方によっては5、7色の菱餅もあり)、赤の餅は厄を祓う力があると信じられている桃(の花)を、白の餅は清らかな残雪を、緑の餅は芽吹く春草の新芽を表現しています

多くのお吸い物には蛤を使用しますが、蛤は元々対の殻としか合わさらない事から夫婦和合、或いはピッタリと合う伴侶を見つけられます様にと願って食されます。

 

子を思う気持ちはいつの時代も変わらない、と言う事でしょうか。原義を忘れていたとしても慣習として残っている雛祭りの伝統は、子どもの為に、と言う親の愛情がこもっている日本の文化だと思います(大)

 

紀元祭と建国記念

2012年2月12日 日曜日

昨日2月11日は『建国記念日』として国民の休日に定められています。

 

日本の建国は神武天皇が大和の橿原宮(かしはらのみや)で即位された辛酉(西暦紀元前660年)正月一日を紀元としています。そしてこの日は現在の新暦では2月11日にあたり『紀元節』と定められました。

この紀元節は戦後一時廃止されましたが、昭和41年に建国記念の日と名を改め制定されました。

この日神武天皇を祀る橿原神宮では例祭日となっています。各地でも建国を祝い神武天皇の偉業を偲び、日本人、日本国民としての自覚を深める意味を込めて紀元節、建国記念に関する式典が多く執り行われています。長岡市では本年、長岡市立劇場にて建国記念奉祝式典が行われています。

鏡について

2012年1月21日 土曜日

本日から大寒ですが、ここ最近は割と暖かい気がします。お陰で雪掻き作業も一段落しました

今日は鏡について書きたいと思います

丸は欠ける所が無い完全な形を意味するなどと言われておりますが、鏡は昔から祭具の中でも特別な役割を担ってきました

『日本書紀』には天照大御神が天孫降臨の際に八咫の鏡を授けられて「此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし」と仰せられました

これは神さまの姿はそこにはありませんが「この鏡を見る事は私(=神さま)を見るのと同じ様にしなさい」と言う事です

鏡と対面するという事はそこに映る自分の姿を見ると共に、心の内面を深く反省し清らかな心で神さまと向かい合う事だと言えます

 

鏡の語源は影見(カゲミ)とかカカメ(=蛇の目)であると言われていますが、私は言葉遊びで彼我見(=カガミ)と言っています

彼と言う字は昨今は男性を表す事が多いですが、古文では「か」と読み「あちら」などの意味があります

つまりは「あちらから私を見ている」と言う意味になります。目に見えない神さまが鏡を通して自分を見ていてくださる・・・と思うと、自然と姿勢を正して、嫌な事があっても頑張れる気がしませんか?(大)