‘社務日誌’ カテゴリーのアーカイブ

社紋 金峯神社~越後長岡蔵王~

2017年12月13日 水曜日

新潟県長岡市蔵王に鎮座しております、金峯神社の社紋につきまして少しご紹介いたします。

そもそも、日本では身分に関係なく家紋が存在しておりそれは「家紋」が「苗字」の代わりに使われていたからです。

※苗字を公に名乗ることを禁じられた時代があった。

苗字は武士階級の特権としており、「家紋」「屋号」が使われておりました。

こちらの金峯神社には「社紋」がございましてこれは「五七桐(ごしちのきり)」と申します。

所説ございますが、五七桐は下賜(かし)つまり「天皇家をはじめ、身分の高い人から賜るもの」で一般的に、功績やゆかりの深い間柄に送られるそうです。

ちなみに、三五桐というのもございまして将軍家から賜り同じように功績やゆかりの深い間柄に送られるとてもありがたい紋(象徴やシンボル)だそうです。

この、「桐紋の桐とは古代中国の神話に出てくる鳥の鳳凰」が止まる木とされ「桐は神聖な存在」として扱われ

この風習が日本に伝わり天皇様の衣類などに使われるようになり、当時は皇室のみが使用できる格式のある紋章として使用されてきました。

時代が進み、現代に至ります。

 

また、「桐」紋に使用されている桐は「ゴマノハグサ科の桐の葉と花」がデザインになり図案化されました。

また、桐は私たちの生活とも密接につながり「桐は良質な木材」として様々加工されてきました、

神楽(神道の神事)のお面、箏(そう・日本の伝統楽器)、箪笥(茶・衣類・食器・百味)の材料として使用されてきました。

桐箪笥といえば重くて大きいイメージを、される方が多いと思いますが桐は国産の材料の中で一番

「軽く」

「湿気を通さない」

「割れにくい」

「防火性」という

優れた特性を持っており良質な高級木材です。

紋章、神話、楽器「桐と共に」歩んできた道のりはとても長くそして素敵な時間を過ごしてきたように私は感じます。

先人とのつながりは、歴史や伝統の枠に超え生活の一部になり学ぶことで、違う時代を生きている自分たちにも、当時の人々が大切にしてきた「モノ」が少し理解できるような気がします。(小)

※箏(そう、可動式の支柱で音程を調節)

※琴(こと、玄を押さえる場所で音程を調整する)

※百味とは、当時の薬局で生薬を入れるために使われていた。

 

注連縄奉製

2017年12月5日 火曜日

先日、本殿や拝殿に付ける注連縄を奉製しました。長さは約10メートルと5メートル。

時折冷たい風が吹くなか、半日かけて作りました。

仕上げに飛び出ている藁を切り揃えて完成です。また、この藁は新町小学校の児童が米作りの授業で

作ったもので、例年賽ノ神の材料にもなっております。

神様の恵みであるお米を頂き、藁も捨てずに注連縄や注連飾りを作る。

昔から続けられてきた習わしが絶えることなく伝わるといいですね。(吉)

兼務神社祭礼(宮内高彦根神社)

2017年11月25日 土曜日

新潟県長岡市宮内に鎮座いたします、高彦根神社にて11月23日に新嘗祭を執り行いました。

この日は、日本の国民の祝日の一つ「勤労感謝の日」に執り行われます。

そもそも、「勤労感謝の日」とは「勤労をたつとび、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう」日として

1948年(昭和23年)に公布執行されました。

また、農業国家の側面を持つ日本は神々に「五穀」の収穫を祝う習慣がございました。

そして収穫を感謝する「新嘗祭」は飛鳥時代頃から始まり現代まで続いております。(小)

境内で

2017年11月25日 土曜日

ここ最近めっきりと寒くなってきました。晩秋から初冬へと季節が変わっていくのを感じますね。

境内はまだ落葉が終わっていないため清掃が滞っています。

先日境内の清掃をしていたところ、遊んでいた子どもたちが「手伝います!」といって近づいてきてくれました。

職員が使っている大きめなレーキや蓑を不慣れな手つきで、ですが一生懸命手伝ってくれました。

夕暮れがだんだんと早くなっているので夕方4時過ぎると真っ暗になるので、時間を見計らって帰宅をお願いしましたが本当に有難く貴重な体験でした。

近隣の小学校で3年生次に総合学習を行っていることがきっかけだと思いますが本当に良いことだと思います(桃)

ユキ ふる 紅葉

2017年11月20日 月曜日

新潟県長岡市蔵王に鎮座致します。金峯神社にも初雪が降り、よく日には境内は雪化粧となりました。

初雪に紅葉がかかり秋と冬が重なり合う季節でございます。

雪が降り紅葉もあとを、追うようにヒラヒラと。

 

重なる紅葉

皆様のお参りお待ちしております。(小)