新潟県長岡市宮内に鎮座いたします、高彦根神社にて11月23日に新嘗祭を執り行いました。
この日は、日本の国民の祝日の一つ「勤労感謝の日」に執り行われます。
そもそも、「勤労感謝の日」とは「勤労をたつとび、生産を祝い、国民が互いに感謝しあう」日として
1948年(昭和23年)に公布執行されました。
また、農業国家の側面を持つ日本は神々に「五穀」の収穫を祝う習慣がございました。
そして収穫を感謝する「新嘗祭」は飛鳥時代頃から始まり現代まで続いております。(小)
11月5日(日)金峯神社の境内社である又倉神社の祭礼『王神祭』が斎行されました。
当社に伝わる古代儀式で新潟県の無形文化財に指定をされております。
今年は快晴に恵まれ、また日曜日ということもあり大勢の参列がありました。
古代この地方を開拓され、稲作漁業酒造りなどの技を伝え広められたというご祭神への感謝のお祭りです。そして同時に神様と神様の婚礼の儀式でもあります。
お供えする米や餅、魚(鮭)は独特のお供えのやり方にて献上します。特に鮭は恩念切りといって鳥居の形にしてお供えします。古来より鮭は越の国より朝廷への献上品であったことはよく知られていますが、鮭は年の魚としてこの地方では雑煮などでも重用し生活に密着した魚です。ご神前の中央には鮭の背ワタ(内臓の部分)を別にお供えしています。古来から強壮薬として塩漬けにしていたそうです。
祭りの後の直会ではお雑煮を振舞います。こちらも昔からの調理に拘った鮭のお雑煮で参列者からも好評をいただいております。静寂の神事とうって変わって賑やかな宴の席となり、昨年のことなども思い出しますが、一年が過ぎるのが早く感じられます。昭和大正明治江戸戦国室町鎌倉その先と連綿と続く行事の僅かな期間を携わらさせていただいていますが、儀式の背後にあるその時代の祈りに触れるような瞬間を感じていただければと存じます。
※よくお問い合わせをいただきますが、参列はご自由にできますが直会については準備の都合上ご招待させていただいた方に限らせていただいております。直会への参列ご要望は電話もしくはメールにてお問い合わせください。(桃)
10月1日(日)横枕町に鎮座する兼務神社、神明神社の例祭に行ってまいりました。
当社の兼務神社では一番遠くに鎮座する神社で(約10キロ)市内の南部に位置します。
写真の通り、百段を超える石段の上に立派な社殿が鎮座しています。昔洪水で社殿に水が着いたことをきっかけに高い山の上に遷座したのだとか。
横枕の集落の北側の山の上に神社があるのですが、道らしい道はなくちょっとわかりにくいかもしれません。
階段はかなり急で暗い時にはお参りに行けないかもしれませんが、登った後の境内の雰囲気はとても清々しいです
拝殿と本殿が離れている造りで少し離れた御本殿には幣束をお祀りします。集落から30~40人ほどの参列があり、祭典の終了後にはお神酒拝戴があります。
午後3時からの祭事も終わりごろにはほんのりと薄暗くなっていました。日が暮れて涼しい風が吹き毎年ここで秋の到来を肌で感じています。
本務社兼務社を含め、いわゆる例祭としての神事は今年はこれで終わりです。ご社頭ではこれから七五三やら年末年始の準備やらで慌ただしくなってきます。時間が過ぎるのを年々早く感じますがそれに流されることなくしっかりと生きたいものですね。(桃)
9月24日(日)長岡市内の豊詰町の豊津義神社で例祭の神事が行われました。
しばらく雨が続き肌寒い日が続きましたが、この日は秋晴れの良い天候になり支障なく神事を行いました。
豊津義神社のご祭神は建御名方命(タケミナカタ)といって諏訪神社の神様で、社殿内には神明神社もお祀りされています。
明治40年に建築された社殿も中越地震の折に大変な被害を受け改築された新しい社殿です。今回機会があり古くからの豊津義神社の写真の記録を見せていただき有意義な一日になりました。
神事後の直会では例年通り頭渡し(戸渡し?「とわたし」)といって当番の引継ぎの儀式が行なわれ、昔は頭屋(当番)を引き受けた者が酒を注いだ大杯を一気に飲み干す儀式が行われました。現在では気持ち程度の量や酒でなくなり時代の流れを感じさせますが、当番の引継ぎの明確さや周囲への認知、地域の一体感を培う儀式として楽しみにされていたのではと想像されます。
古い時代の姿を垣間見るような気がしますが、長く伝えていってもらえたらと思います。(桃)