みなさまは横断歩道を渡る時に「とおりゃんせ」を聞いた事がありますか?
とおりゃんせの歌詞の中に「天神さまの細道じゃ」と言う歌詞があります。この歌詞の中の「天神さま」の鎮座する神社は諸説ありますが、天神さまと言えば平安時代の貴族で政治家であった、菅原道真公とされています
菅原道真公の祖父や父は現在で言う官僚育成機関で教鞭を執っていた学者の家に生まれ、自身も幼いころから勉強に励み、特に詩歌の才が優れていたので最年少で国家資格に合格し33歳で文章博士(もんじょうはかせ)と呼ばれる中国正史などの歴史学や漢文学を教える学者となります
菅原道真公が活躍していた時代は、中国の進んだ文化を取り入れて学問を盛んにし立派な国を作る事が行われており、また当時の天皇が藤原氏の専横を良しとしなかったので、藤原氏ではなく中国に関して造詣が深かったので政治の世界でも右大臣の位を戴き大変活躍しましたが、こうした活躍を良く思わない政敵によって讒言され、無実の罪によって九州の太宰府に左遷され、無念の死を遂げました
道真公の没後、都では天災が相次いで起こり、また政敵も落雷によって絶命しました
その後も天変地異が続いた為、これらすべては道真公の怨霊による祟りのせいだと恐れられる様になり、その怨霊の怒りを収める為に京都の北野に道真公を祀ったのが北野天満宮の始まりです
やがて道真公の生前の学問に対する偉大な功績から、学問の神さまとして崇敬される様になりました
道真公は梅をこよなく愛し、道真公を祀る神社の多くには梅が植えられていますが、太宰府に左遷される際に都にある梅の木を見ながら一首詠ったと言われている歌があります
「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘るな」
意訳を記すならば、春風が吹く様な季節になったなら、世話をする主人(=菅原道真)がいなくなったとしても、春が来る度に忘れることなく、匂うほどの花を咲かせてくれ、と言う所でしょうか
こんな歌を残される位愛されていたのですから、梅の方も主人を追いたい気持ちが強くなり、やがて空を飛んで太宰府まで飛んで行き見事に主人の元に降り立ったという伝説があり、その梅は現在太宰府天満宮のご神木となっています(大)